面積16.42万平方キロ(日本の約5分の2) 人口994万人
一人当たりGDP 7,600ドル(日本は36,187ドル)
(C) 2006 Desert Rose. All rights reserved.     |   NEXT   |   BACK   |   HOME    |   MENU    |
HOME
MENU
BACK
NEXT
至福のサロン
アジア編
プロフィール
写 真
見た聞いたアラブ
ひとり言
Site Map
Back
Airlines
Next
Beauty Salons
Asia
Photo Album
Travel in Arab World
Home
Diary
チュニジア 
カフェで「ウィー」

チュニスに着くまでマグリブ3ケ国(モロッコ、アルジェリア、チュニジア)は境界こそあるものの 同じような国だと思っていたから、垢抜けて満ち足りた首都の光景に驚いた。フランス人の恋人を持ったりパリでの成功を夢見る若者達を描いた映画の舞台はアルジェリアだったけ? 湾岸諸国のある老齢の王族が若返りの為に毎年のようにやって来ては大金と引換えに若い娘達と交わるのはモロッコだったっけ? 

チュニジアは"怒りの国"でも"求める国"でもなく、"笑う国"だった。通りも女性も(男性も)かなり洗練されていて、もし「ここはフランスの地方都市」と言われたら信じてしまうかも。

「メルシー」と「ウィー」
この町でチュニジア人に「アフワン」と話しかけると「ウィー」、お店に入ると「シュクラン」ではなく「メルシー」と咄嗟にフランス語が飛んで来るし、アラビア人同士でもなぜか「ボンジュール」なんて挨拶交してたりする。カルタゴでもそうだった。

フランスの保護領となっていたのは1983-1956年の間だけど、独立から50年経った今でも彼らの日常に沁みこんだフランスの影響の大きさを感じさせる。うーん、顔立ちは完璧なアラブ人なのに、ちょっと違和感が… ちなみにチュニジアを含めた北アフリカのマグリブ3ケ国の独特なアラビア語方言は他の地域のアラブ人には違う種類の言葉に聞こえるらしい。

牧童? いえ、商人です
チュニスから南へ約165キロの世界遺産・カイルアンに4WDで向かう途中、牧童らしき少年達があっちこっちで羊数匹を連れて寝そべっていた。のどかな田舎の風景、と眺めていると 運転手が「あれは犠牲祭で食べる為の羊を売っているんだよ」と教えてくれた。そう言えばチュニスの旧市街の空き地でもちょっと素人っぽい集団が羊市の真似事みたいなのやってたなぁ。巡礼月(イスラム歴の12月)10日目のイード・アル・アドハーにムスリムは羊を屠って家族や友人と分かち合い、貧しい人々に施す事になっていて、このような”にわか羊市”が立つのは犠牲祭前の風物詩のようだ。2004年の犠牲祭では自衛隊の先遣隊が羊110匹=1600人分をイラクのサマワの人々に贈ったらしい。「一匹買って日本まで持って帰る?」と言う運転手の冗談に笑っていると、ちょうど荷台に羊を載せたトラックがスーッと走り去って行った。

化粧したラクダ?

ジャッキー少年
チュニジアでは香港映画がよく放映されているのかな? チュニスでもカルタゴでも”なりきり”ジャッキー・チェンの子供達をよく見かけた。私がマグリブ3ケ国の人達の国籍が区別できないように、彼らにとっては日本人も香港人も同様で「△×●?□▼」と香港の人が聞いたら蹴りを入れそうな広東語の抑揚のマネを披露しに(しつこく)近づいて来る。もういいってばぁ…

ノンビリしたチュニス
郊外電車の駅
旧市街で会った
可愛い笑顔の子
白とブルーの
コントラストの窓辺
夕陽に映える
地中海と白い家

フランスの食育効果
チュニスではメインストリートのブルキバ通りにテーブルを並べるパリ風カフェで 会社へと急ぐ(急いでる風じゃなかった気も…)チュニジア人達をウォッチングしながら クロワッサンとふわふわに泡立つカプチーノで毎朝が始まった。シアワセ〜 

ところでチュニスではフランスパンを小脇に抱えて歩く人達は何度も見たけど、あの平べったいアラブパンには全くお目にかかれなかった。"伝統的チュニジア料理のお店"とガイドブックに書いてあるお店でも出て来たのはヘルシーな野菜たっぷりの洋風料理ばかり。食文化でもフランスの影響が大きいのか、チュニジア料理はアラブ料理より西洋料理に近いようだ。味もボリュームも控えめで、スリムなチュニジア人が多いのも納得。

フランスパン配達します
クロワッサンと
カプチーノの朝ごはん
Syria
Tunisia
Morocco
Jordan
Iraq
Egypt
Yemen
Oman
Saudi Arabia
UAE
Qatar
Kuwait
Bahrain
エアライン