軽い気持で観てみたら すごく感動する映画だった、似たようなケーキを以前食べたけど こっちの方が100倍くらいおいしい、という経験は誰にでもあると思う。私にとってヨルダンはそんな国。非産油国で決して豊かではないのに都会人も田舎のベドウィンも紳士的で旅人に優しい。ちなみに現在の在京ヨルダン大使の奥様は日本の方。
まるで親戚
いかにもアラブのオジさん、といった感じの気取らない そのパレスチナ人相手に私は下手なアラビア語を駆使して終始話が弾んだ。オジさんとはアンマンのホテルと契約しているリムジン会社の運転手ラーシドさん。空港送迎、ぺトラ、ジェラシュ、死海とヨルダンに滞在した4泊中3日間も車内で長時間顔合わせてたから すっかり親戚のオジさんみたいな感覚になる?
パレスチナの人々
ラーシドさんは故郷のパレスチナに奥さんと成人した子供達を残してアンマンで働いているが、彼らパレスチナ人はアンマンの住人約120万人の75パーセントを占めているらしい。その中には1990−1991年の湾岸戦争で故アラファト議長がイラクのフセインを擁護したあおりを受けてクウェートからの国外退去を強いられたパレスチナ人も多く含まれている。友人の話では
豊かなクウェートで生まれ育った若いパレスチナ人達は新しい環境に慣れるのにかなり苦労したようだ。クウェートでのパレスチナ人コミュニティーは職場でも教育面でも他の外国人より優遇されていたから…
パンを一切れ下さい
まさかお昼抜きだとは… アンマンを訪れた12月下旬はその年の断食月ラマダンがまさに終わろうとしている時だった。地元の人達に悪いなぁ、と思いつつも 朝からのハイペースなアンマン散策でお腹ぺこぺこ、お昼食べないと
もう行き倒れる〜 とレストラン探しスタート。隣国シリアを以前やはりラマダン中に旅した時は昼間からアラブ料理店がたくさん開いていてお客もいた。もっともそのお客さん達は座っているだけで何も食べてなかったけど。
一方、アンマンのレストランは軒並み閉まったまま。さすがに大きなホテルなら大丈夫だろうと立ち寄った高級レストランにも「夕方からオープン」の非常な貼紙。やっとの思いで辿り着いたマクドナルドはドアが開いていた。この際ハンバーガーでもいいや、すぐ食べれるなら、と早速オーダー、やれやれ。ところが!
ホッとしたのも束の間、「店内での飲食お断り。テイクアウトのみ」の貼紙が… 日没まで断食中のムスリムの手前、レストラン以外の公衆の場(道端とか)で食べるのはちょっとなぁ、というわけで、テイクアウトの紙袋を大事に抱え、お腹グーグー鳴らしながらグランドハイアットまで歩いて帰った(タクシーも走ってなかった)道のりの長かった事。午後4時にホテルのお部屋でようやくありつけたハンバーガーはホントにおいしかった… そしてその翌日、断食月は明けたのでした。
見どころと綺麗どころ
ヨルダンは日本の4分の1の面積とはいえ見どころいっぱい、南部にある”アラビアのロレンス”の舞台ワディ・ラムを4WDで走り抜けるのはまた機会に… とはいえ、”インディー・ジョーンズ 最後の聖戦”のロケ地にもなった壮大なぺトラ遺跡、子供の頃から不思議だったあの死海、アンマンから約50キロのローマ遺跡ジェラシュなどヨルダンを縦横、馬にもラクダにも乗り、断食開けのお祭まで体験できた中身の濃い5日間だった。
ところでヨルダンでは振り向けば色白の美男美女、ってくらいキレイな人が多い。実際、アラブの世界では”綺麗どころ”はヨルダン、シリア、レバノンと言われていて私も同感。ただ目鼻立ちの大きい人は重力の影響を受け易いので、20代半ばを過ぎると顔立ちがどんどんと…